【無料公開】僕たちはハーレー斉藤を忘れない…

元LLPWのハーレー斉藤さんが12月15日に逝去された。享年48歳。
ハーレーさんはジャパン女子の1期生として1986年の旗揚げ戦にてデビュー。2012年12月に引退した。
その優しい性格は誰からも親しまれ、愛されてきた。ここでは故人のレスラー人生を振り返る追悼グラフを捧げたい。

構成=泉井弘之介


86.8.17 後楽園ホールにてデビュー戦。ナンシー久美とのタッグでモンスター・リッパ-&OKカルホーン組と対戦。ナンシーとのタッグでセミという破格の扱いだった。

86.9.5 ミスAデビュー戦の相手だったクッキーズラとのシングル戦。器用に試合をこなしズラを一蹴してそのセンスの良さを示した。

86.9.9 デビュー後、まもない頃、尾崎魔弓&ユウ山崎とともに売店でのサイン会の様子。

デビュー時より赤を基調としたコスチュームで登場していたハレー。ハレーの意味はハレー彗星からで70年で一度の新人と言う意味。

86.9.9 千葉公園体育館にて早くもエース・ジャッキー佐藤とシングル対決。デビューわずか3週間あまりでのビッグチャンスだ。

86.9.19 高知県民館でジャッキー&ナンシーとのトリオが実現。対外国人を相手にサブミッションを見せ非凡さを発揮した。

ジャパン女子は旗揚げ時から数か月は入場式を行っていた。そのときの団体ジャンパーでの姿がこれ。

86.9.10 ジャパン女子が旗揚げから2カ月も経たないうちに大阪城進出。風間とコンビを組み外国人組と対決した。

86.10.17 デビュー当時、ライバルとうたわれたのはミスA。後楽園大会で両者は火花を散らしてライバル誕生を印象付けた。

86.11.9 後楽園ホールで四天王の一角であった風間ルミと初対決。

旗揚げよりジャパン女子は全国巡業を展開していた。こちらは北海道巡業中の一コマ。


86.11.17 メキシコの大御所・ローラ・ゴンザレスとのシングルもデビューわずか3か月で実現した。


デビュー時初の特写がこのカット。赤のレガースも特徴の一つで蹴りはデビュー時からの得意技であった。

87.8.27 風間ルミ王座防衛後の控室での風景。ハレーはつねに神取や風間と言ったトップに対抗できる存在にいた。

88.7.14 神取がフリーとなりジャパン女子に戦列復帰。その矢面に立って迎え撃ったのがハレーだった。


88.9.30 デビュー後1か月で地方大会にて神取と戦って惜敗したハレーだが満を持して後楽園にて対戦。最後はジャーマンで敗れたがあと一歩まで追い込み、その実力を示した。


ミスA&ハレーが神取&風間に真っ向ぶつかったのが90.6.14後楽園。フリーとなった両者に対してジャパン女子魂が爆発した好勝負に。

90.2.27 ミスAとハレー斉藤のライバルタッグが太平洋タッグを奪取し、その後、3度の防衛を重ねた。

90.7.26 神取&風間のフリータッグに敗れ、王座転落となったミスA&ハレー。ここから両者は再び対決の状態となる。

90年のジャパン女子プロレス大賞の模様。

91年のオーディション風景。ハレーは審査員として参加。

91.2.11 ミスAを破り、第6代UWAインター王者に輝く。この後、オートバイメーカーのハーレーダビッドソンのような、迫力あるレスラーを目指すためハーレー斉藤と改名。

91.12.22 ジャパン女子にフリー参戦していた山崎五紀引退試合のパートナーに選ばれる。関西&イーグル沢井組と対戦した。

ジャパン女子時代、プロモーター氏のつながりで石原慎太郎氏の集いに出席。


ジャパン解散後の翌91年2月にはアメリカ・アイオワ州のLPWAに参加。デニスストームを破ってワンデイトーナメントに優勝した。

92.2.26 トーナメント優勝と言う土産を手に帰国したハーレー。新団体の設立へ向け、ここから加速化していく。


92.3.26 旗揚げに向け、渋谷のフィットネスクラブで汗を流す日々。その後、芝浦にあるディスコを夜間借りての練習が始まった。

92.6.10 都内ホテルにてLLPW旗揚げの記者会見。三禁の廃止、女社長の誕生、立野記代の復帰など、多くの話題を振りまいた。



92.8.29 LLPW旗揚げ戦。ハーレーは復帰第1戦となる立野のパートナーを務める。2018人が見守る中での船出となった。

93.1.4 神取5人掛けマッチの第1戦の相手を務める。18分近く戦い抜き、LLPWは神取だけの団体ではないことをアピール。

93.2.6 業界全体が団体対抗戦へと向かっていく中、LLPWもその渦中へ。神取包囲網の中、ハーレーが迎撃を宣言した。

93.2.15 LLPWマットへ乗り込んだ三田英津子&みなみ鈴香を迎え撃ったハーレーはタイガーを決めて全女勢を下した。

93.4.3 史上初となった4団体集結のオールスター戦で、ハーレーはイーグルと組み、アジャコング&ブル中野の女帝タッグと対戦。


93.6.26 LLPWがハーレーの地元である焼津で興行を開催。試合後、ハーレーが感謝の言葉を述べた。

93.8.29 LLPW初代シングル王座決定トーナメント準決勝で神取と対戦。敗れはしたものの、好勝負で神取超えを予感させた。

93年は対全女との対抗戦にヒートアップした年となった。所属選手たちは打倒・全女を旗印に対抗戦に挑んだ。

93年のLLPW表彰式ではハーレー対神取戦がベストバウト賞を獲得。年内最終戦で表彰を受けた。

94.5.14 埼玉・草加大会で神取からタッグながらフォール勝ちを果たす。神取越えが現実に近づいてきた。

95.8.4 3周年大会で自己主張を目指して烏天狗のモデルとなった神様、天界二十八部衆カルラに変身を遂げた。



95.9.8-11 LLPWがサイパン遠征。2試合を行い、ハーレーはカルラも伴い、1日2試合の強行軍。


96.4.20 前年、イーグル沢井を破り第4代LLPWシングル王者となったカルラ。4番勝負を経て挑んだ風間を打ち破った。


97.12.5 川崎市体育館にてLLPWとJWPによる奇跡の競演が実現。ハーレーは関西&キューティと組み、神取&尾崎&風間と対戦。関西の入場時にロープを挙げる気配りも。


99.8.22 プロレスラー人生のクライマックスとなったのが神取を破り第7代LLPWシングル王者となったことだ。カルラでの戴冠はあったものの、ハーレーとしては初の快挙だった。

00.3.8 悪に転身した風間のチャレンジを退け、王座防衛に成功。2度の防衛を果たした。


平成11年8月22日、後楽園ホールでのLLPW創立7周年記念大会はハーレー斉藤にとって、生涯忘れることのできない試合だったという。
デビュー戦から追いかけ続けてきた神取忍を破り、第7代LLPW認定シングル王者に輝いたときのことだ。
このときデビューから14年。ジャパン女子1期生としてデビューを果たしたとき、神取はすでに 一段階上の”四天王”(ジャッキー佐藤、ナンシー久美、神取、風間ルミ)として、異彩を放っていた。
天界二十八部衆カルラとしてはすでにLLPWの頂点に立ってはいたが、ハーレー斉藤としての戴冠はまた格別だった。
ハーレーは「ハレー斉藤」の名前で1986年8月17日、後楽園ホールでのジャパン女子旗揚げ戦にてデビューを果たした。
当時、エースであったジャッキー佐藤(故人)は、ハレーを見て、「あれだけの動きができる新人はいないよ。運動能力の高さと野性的な勘の鋭さを兼ね備えていた」とその存在能力を見出し、セミファイナルに抜擢した。そのパートナーはナンバー2のナンシー久美。いかにハーレーが後の尾崎魔弓、ダイナマイト・関西、キューティー鈴木を排出する1期生のなかでも抜きんでていたかわかるだろう。
その後、ジャッキーやナンシーの引退、神取の離脱とトップが抜けていく中、ミスA(ダイナマイト・関西)とともにトップとして戦い続けた。ミスAが、91年8月4日に開幕した「創立5周年シリーズ」から「ダイナマイト関西」へと改名したことに呼応するように、ハレーも同年8月28日、「ハーレー斉藤」と生まれ変わった。
もともと「ハレー」というリングネームは、ジャパン女子旗揚げ時、ハレー彗星が地球に接近するといった話題が起きていたことから、「70年に一度の新人」という期待を込めてつけられたものである。月日が流れデビューから5年を経過したことで、オートバイメーカーのハーレーダビッドソンのような、迫力あるレスラーを目指すためにハーレー斉藤と改名した。関西とハーレーの改名は当時の両者のライバル関係を思い起こさせる。
改名後、8月30日、大田区体育館での5周年大会にて関西とハーレーはタッグ対決。これを機に両者のタッグは解消となり、シングル闘争へと突入。同年10月札幌ではノンタイトルながら関西がハーレーを下せば、
翌11月にはタイガースープレックスで雪辱しUWAインター王座を守った。結果的にこれがハーレーと関西による最後のシングル戦となった。
97年12月、ジャパン女子解散後、二派に分かれたJWPとLLPWが夢の遭遇を果たすと、ハーレーは関西&キューティーとのトリオを結成。関西の入場シーンでは、先に入ったハーレーがロープを挙げて関西を迎え入れるといったアクションを起こした。
このアクションこそ、ハーレーの人間性そのものだった。
リングを降りれば誰にでもやさしく接したハーレー。そのソフトな人当りと、人をひきつけるような笑顔は、決して忘れることはできない。
享年48歳。いまはただ、早すぎる死に言葉が出ない。
本当におつかれさま。そして、ありがとう。
このグラフをもって、追悼の意とさせていただきたい。合掌。