【無料公開】ダイナマイト・関西 オレの30年。

2016年12月11日、ダイナマイト・関西が30年にわたるレスラー生活に終止符を打った。

引退興行が終わり、約1週間後、都内にてまだ実感の沸かない状態だった関西にさっそく引退試合、さらに30年間のプロレスラー生活を振り返ってもらった。

 

撮影=平栗玲香 取材・構成=泉井弘之介

 

――引退興行から、この取材時点で1週間ほど経ちましたが、実感のほうはいかがですか?

 

関西 ない! やめる前からもね、「あと何回でやめるんやな…」っていう気持ちも薄かったから、いまはやめたという実感もないね。

 

――普通に日曜日とかになったら大会があるんじゃないかって準備したりとか。

 

関西 そうそう、そういうことしそう。ソワソワしたりとかしそうやね。

 

――いまはなにをされているんですか。

 

関西 今はねえ…お礼回りと毎晩飲んでる(笑)。あいさつ回りするのが毎日大変。まだ全然、挨拶回りに行ってへんところもあるから、全部回るのに、1月いっぱいまでかかりそうやね。ホンマにね、引退式もたくさん来てくれたやん。ありがたいよね、あれだけ来てくれて。

 

――発表で2100人、本当によく入りましたね。

 

関西 ねー、久しぶりよね、本当にありがたいね。なんか昔を思い出した。クラッシュ全盛期じゃないけど、女子プロが活気あった時期を思い出したね、。JWPの最初の頃もね、まだよくお客さん来てくれてたしね。

 

――いま、なかなかそういう状況はないんですよ。

 

関西 あれがホンマの後楽園やね、いま団体多いやん。あんなスカスカのとこで、他の団体上がってもすごい空席目立つやん。ずーーとこんなの後楽園ちゃうって思ってたもんね。

 

――さて引退試合の相手は尾崎しかいないと関西さんは自ら相手に指名されていました。改めて、尾崎さんにこだわった理由はなんだったんでしょうか。

 

関西 それはね、尾崎とは30年間、寮生活から共に一緒にいて、自分のいいところも悪いところも全部知ってるから、ダイナマイト・関西のすべてを引き出すのはうまいって言うんかな。関西を関西らしく見せてくれるのは尾崎しかいいひんから。

 

――でも考えてみれば、尾崎さんはジャパン女子にはじまってOZに至るまで、つねに関西さんと同じリングに立ち続けてきたんですよね。

 

関西 JWPのときも尾崎が先に出てって、自分もフリーになって、また自分もOZに入ってていう、ちょっと離れた期間があってもまたくっつくという。気が付けばまた一緒にやってると言うような。

 

――その結果、30年行動をともにしてきたとい形になりましたね。対角にいるとはいえ。

 

関西 そうやな、自分も尾崎がいいひんところでプロレスやると物足りないと思ってたしずっと。尾崎とは離れられへんというか、腐れ縁というか、切っても切れないような存在、そんな関係だと思う。

 

――その引退試合ですが、もう引退試合という枠ではくくれない大激闘でしたね。

 

関西 でもね、やってるときは夢中、これで終わりと言う気持ちはなかったけど、へをしてはいけないという緊張感はああった。見に来てるお客さんにダイナマイト関西を満足してもらいたいし、ダイナマイト関西でお腹いっぱいになってほしかった。ダイナマイト関西お疲れさん、これで終わり、ちゃんちゃん、で終わりたくなかったのね。オレはもっと見せてやりたいという気持ちのほうが上回ってたね。でも全然自分で30分やってる間隔はないで! あっと言う間やったで。え、30分も言ってたっていう感じ?

 

――試合中、とくに印象的だったのが何連発にもわたるバックドロップでした。あの攻防にはどんな思いがあったのでしょうか?

 

関西 ダイナマイト関西、自分にしかできひんバックドロップをおなかいっぱい見せたかった。自分も自分の技でバックドロップを
やるにあたって、尾崎にやるのが気持ちいいわけ。だから尾崎にはとことん受けてもらいたかった。あいつも受ける気満々で来たからね。「受けてやるー!」っていう目つきやったから。よし、それやったら俺もおなかいっぱいやってやるっていう思いやったから。

 

――実際、何度でも立ち上がってきましたからね。

 

関西 そう。それをいろんなね、バックドロップやる子いるやん、そういう若い子にちゃんと見といてほしかった。みんなバックドロップやるけど、それぞれちがうやん、だからこういうバックドロップがあるというのを忘れないでほしい。そういう気持ちやったね。

 

――関西さんのバックドロップはとにかく高く上げてそこから落とすという個性があるわけですが、これはもともと、何がきっかけで生まれたのですか?

 

関西 最初は男子プロレスを見ててね、こういうふうに投げたいなあと。男並みに投げたいなあってな。それからやったね。それでいろいろ考えて、どこまで高さが出るんやろうなって感じで突き詰めていって。

 

――ってことは独学だった?

 

関西 そうそう、もちろん。

 

――そんなシーンも生まれながら、試合を通じて全般的に続いたのは、関西コールでした。あのコールを聞いての心境は?

 

関西 もう、うれしかったね。本来のプロレスの形が帰ってきたみたいな。本来のプロレスの形が帰ってきたみたいな。ファンの人がさ、一生懸命やってくれて本当にありがたかった。本当に昔に戻った感じで。

 

――ファンの方もそうですし、セコンドに付いている選手も試合中から泣いている選手たちがいたのも印象的でしたね。

 

関西 自分も泣かずに行こうと思ってたし、周りの選手のほうがさびしいっていうけど、自分はまあ、いつでも会えるやん、みたいな気持ちがあるわけよ。おまえらなんかあったら、いつでも会いに来るよって、会場にも顔出すよっていうし。でもみんなさびしいて言うんよ。「あと何試合ですね」とか、「もう自分はこれが最後で関西さんと当らないと思います」とか。でもね、引退ロードの時も、自分は1試合1試合こなすことで精いっぱいだった。あと何試合とか、そういう感傷的なものなんて全然なかったよ。自分らしい試合をして、そのとき来てくれたお客さんに満足してもらって、ああー、関西見れてよかった、とそう思って帰ってほしかったから。

 

――なるほど、どうしても見てるほうはあと何試合とか、残り何日とか思ってしまいますよね。

 

関西 でもな、引退試合、何をやったか全然覚えてへんねん。だから自分も知らず知らずで夢中になってたんやろうね。

 

――ああ、じゃあ、これから映像を見ていろいろ思い出すことになりそうですね。

 

関西 そうやね、解説の仕事が入ってるから、そこで初めて見ることになるから、素の感想を話すと思うよ。

 

 

――さて、試合後のセレモニーも感動的なシーンがたくさんあったのですが、まずAKINO選手に「おまえ、これからOZに入れ」とアピールされましたね。これはどうしてだったんでしょうか?

 

関西 OZの所属の選手がほとんど少なくなってきている中で、自分が抜けていって…そうなると正直、尾崎の心の中も、アジャも、園子もポカーンとすると思うんよね。だから、新しいメンバーでも入ってくれたらうれしいなとも思ってたし、AKINOだったら園子とも一緒になって盛り上げてやってくれるんやないかなと思う。それにアジャや尾崎のサポートもあいつならできるんじゃないかなとも思ったし。AKINOだけでなく、ほかのフリーになってる子でも「よっしゃ、OZに入ろう」っていう子がいたらね、オレはどんどんOZに行ってくれたらいいと思うんだよね。そしたらOZも2017年からまた違う形でスタートできるんじゃないかと思うね。

 

――そうですね、AKINO選手なら何でもこなせますしね。では、セレモニー、もう一つのクライマックスが尾崎選手からの卒業証書と関西さんからの手紙でした。まず、尾崎選手からの卒業証書を受け取った時の思いは?

 

関西 正直、試合でも疲れたし、花とか受け取って、ずーっと経ってて、正直疲れてたの、ウハハハハハハ。

 

――試合は30分もやったし(笑)。

 

関西 そう(笑)。ボーっとしてたんやけど、でも尾崎の言葉が一番ほっとするし、あそこで泣いてしまったね。でも全然、自分も泣くつもりなかったの! 一回も泣かずにリング降りようと思ったのに、やっぱりあの卒業証書はね…。

 

――特にどの部分で涙腺は緩みましたか。

 

関西 もう、「卒業証書」って言われた瞬間にああ、オレ、卒業なんやなって。ああ、卒業だーみたいな感じやったね。

 

――おそらく学校の卒業以来でしょうからね。

 

関西 ほんとほんと、そう。ほんとに。

 

――そして関西さんから手紙というサプライズにつながります。

 

関西 いつも尾崎が卒業していく子にやってたやん。だから逆バージョンで感謝状を書こうと思ったの。でもな、言いたいことたくさんあったから、それで手紙になったの。

 

――結構な長文でしたね。

 

関西 やっぱりJWPでいろんなことがあって、それを乗り越え、(プラム)麻里子のことがあったときも、周りからいろんなことを言われながらもあいつはしっかり試合をしていったし、その精神力の強さに周りが尾崎に引っ張られた感じやし、選手がそれで前に進めた感じがあったから。尾崎のその精神力の強さ、言葉でなく気持ちで引っ張っていったっていう、それに対してありがとうって言いたいよね。

 

――関西さんは「自分は何もできなくて、ただそばにいるだけ」って読み上げられた時は、かなり感極まりました。

 

関西 本当、自分たちはなにもできなかったの。でも尾崎はえらかった。しっかりあいつは前を向いて歩いて行けたしね

 

――キューティ鈴木さんがリングにあがられたときはプラムさんの遺影を持っての登場でした。

 

関西 そうやったね、あのときね、また同期4人で昔みたいに酒飲みたいなって思った。たわいもないアホなことしゃべって。あと麻里子に30年、無事にリング降りることができたよって伝えたいって思った。これまで見守ってくれててありがとうって、それを伝えたいっていう気持ちやったね。

 

――わかりました。では改めて30年というプロレス人生を振り返ってみたいと思います。まず、デビュー時には、どれくらいプロレスをやろうと思っていたのでしょうか?

 

関西 何にも考えてない。でも、もっと早く辞めるつもりやった。最初は25くらいか、20そこそこで辞めるんだろうなっていう感じやった。こんなにプロレスが長くできるものって知らなかったから。意外にも30超えてプロレスできてる自分がいたから、ああ、これいくつまでプロレスできるんやろうって思ったね。まあ、これ限界までやらなあかんかな、みたいなのはあったけど。

 

――デビューは1986年、ジャパン女子のリングでした。相手の選手は外国人の…。

 

関西 クッキー・ズラ! 誰やねん(笑)。でも、誰が連れてきたん? 自分もよくわからん。そのとき、グラン浜田さんやジャッキーさんが考えて連れてきたんやろうけど、
もう全然プロレスできひん人で、自分もたいして何もできひんかったけど、蹴る殴るのケンカやったね。もう案の定、デビュー戦は場外カウントアウトで。デビュー戦でカウントアウトって聞いたことある?

 

――まったくありません(笑)。

 

関西 やろ! そんなもん。めちゃくちゃ。もうケンカ。ガチだから、ほんとに。浜田さんとかが、自分は体もでかいし、何をやってきてもつぶれへんやろうと。他の選手やったら黒人にやられちゃう、ケンカになったら負けてしまうからまずおまえがいけ、みたいな話やったね。それでケンカになって。試合終わってから泣いたもん。こんなデビュー戦あるのかって。こんなことしたくてプロレスラーなったんちゃうって。ちゃんとした試合したいーって(笑)。

 

――今の選手たちじゃ考えられないスタートだったんですね。それで、新人時代から尾崎選手とはずっと寮生活で行動が一緒だったんですよね。

 

関西 寝起き、朝のロードワーク、料理当番、何もかも一緒やったね。プラムもハーレーも一緒、同じ部屋だったから。もちろん道場で練習も一緒、帰ってくるのも一緒で、本当に24時間一緒やった。親でもこんなに長くいることないわってくらい一緒にいた。それに練習生って練習と寮と往復するしかやることがないから。

 

――当時の尾崎選手で覚えてることはなにかありますか。

 

関西 いつも尾崎は洗濯干してたなあ(笑)。

 

――干してましたか(笑)。

 

関西 尾崎はきれい好きで、部屋もきれいやった。すごいまめに掃除してくれてたし、洗濯も好きやし。家庭的だよ、あの子。結婚したらいい奥さんになるタイプやと思うよ。もう無理やろうけど。

 

――いやー、まだまだわかりませんよ。

 

関西 無理や無理や、あの年でもう無理やろ、あれから(お嫁に)行ったら怖いでー。

 

――ちなみに関西さんはご結婚の予定は?

 

関西 ないないない! 今までそんな縁も何にも一回もない!

 

――せっかく引退されたからゆっくり婚活でも…。

 

関西  ない! なーい! 別に男いらん、一人でしっかり生きていける。もうね。結婚とか思わなくなったね、最初から結婚願望なかったし、子供ほしいと思った時期はあったけどね。旦那はいらんけどこどもだけほしいと思ったことはあったけど。でも、わずらわしい、横に男がいたら。一人のほうがラクーって思うもん。

 

 

――あ、なるほど。よくわかりました(笑)。では話を戻しまして、尾崎選手とのかかわりでのクライマックスはやはり団体対抗戦でタッグを組んで、WWWAタッグを全女のリング(93年4月11日、大阪府立体育会館)で奪取したことだと思うのですが、あのときの心境を振り返ってください。

 

関西 はじめて対抗戦の話がきて、尾崎と組んで、豊田&山田とやるって聞いたときに、そのときは相手のことなにもわからんやん。尾崎と二人で大丈夫か? どうなるんやろうって。(前年11月の)川崎で豊田&山田とやって結果的に負けたけど、確信したね。オレと尾崎とやったら絶対ベルト獲れるって。

 

――そうそう、大阪の前に一度、川崎で戦って敗れているんですよね。

 

関西 そのときもこんなちっちゃい体で尾崎はぼっこぼこにやられて、記憶まで飛ばされてね、それでよく体がもったなって。その闘ってる姿をエプロンから見てて、よーっしゃ、俺が引っ張っていったろと思ったね。絶対にこいつらから尾崎と俺がベルト巻いたるって。今思えば、尾崎の精神力にほんまに引っ張ってもらったんやね。

 

――当時の全女と言えば巨大帝国だったわけで、そのベルトが他団体に流出というのは一大事だったわけですよね。

 

関西 だからこそ、すごい優越感やった。あのときはおまえら見とけよ、っていう気持ちやったね。それは全女の選手だけやなく、スタッフに対してもね、それと全女のファンにも全女だけじゃないよ、JWPという団体もあって、俺らみたいな人間もいるんだよ、覚えとけって。ダイナマイト関西と尾崎魔弓忘れるなよ、っていう気持ちだったよ。

 

――対抗戦と言えばもう一つ、ライバル・アジャコングとの激闘に触れないわけにはいきませんね。

 

関西 アジャは最高のライバルだね。あんな強いライバルを見つけて幸せだなって思う。アジャと戦うときは本当に真剣勝負だよ。もちろん、みんな真剣勝負んだんだけどアジャの場合は別物なんだよ、ほかの選手にはない緊張感があった。アジャと闘うイコール全女と闘うみたいなものやったから、自分も団体背負ってるし、向こうも背負っているし、もう必死だった。

 

――そして3度敗れた末、4度目の対決でWWWAの赤いベルトを獲得しましたね。

 

関西 やっと、と言う感じ。やっとここまで来た。あー、長かったという感じやったね。4回目でやっと。「3度ダメなら4度目はないんだよ」ってアジャにけちょんけちょんに言われて、ものすごい悔しかったもんね。それだけにあのベルトはアジャから獲ったことに意味があった。もし豊田が持ってたり、山田が持ってたりしてたり、ほかの人だったら、そこまで興味を持たなかった。アジャを倒して、アジャから獲った赤いベルトやったから意味があったんだよ。アジャから獲ったんだよ、ということがもうちょっと上に上がれるという自信になったね。

 

――引退ロードでもアジャ選手との対戦がありましたが、試合後ずっと手を握り合っているのは二人にしかわからないシーンでしたね。

 

関西 あれはね、自分は本当に今までありがとうアジャ、と言う気持ちで握りしめてたよ。自分は先に辞めるけど、あとはおまえに託すよって。でもね、自分が30年間来れたのはアジャと尾崎がすごく大きくかかわってるからあの二人に感謝の気持ちは大きいよね。

 

 

――その後、二人はGAEAのリングでタッグを組みましたよね。確か二人の体重が合計200帰路というのが話題になって、当時のうちの企画で、お風呂屋さんの体重計に量りに行ったり(笑)。

 

関西 あったなー! お風呂屋さん行ったなー。やったねー。ようやるわホンマ(笑)。

 

――そのアジャとの200キロコンビではクラッシュ2000との対戦を経験しましたが、クラッシュとの対決は貴重な経験でしたね。

 

関西 それはもう、憧れの人でしょう。ファン心がときめいちゃうんだよね、ああなっちゃうと(笑)。闘って倒さなきゃいけないってわかってんだけど、どっか心のどこかでファン精神が出ちゃうんだよね、やられてても、ああ、うれしい~みたいに(笑)。いくつになっても実際目の前にしてて戦うとみてた頃の自分に戻るんよ。

 

――やはり30年の間にほかの選手ではできなかった貴重な経験も数々なされているんですね。

 

関西 本当にね、今の子たちも30年続ける故なかなか出てこないと思うけど、ほんとういろんなこと経験させてもらった。他の子では絶対経験できないくらいのことをしてきたので本当に幸せだった。

 

――さて、現実に話を戻しましょう。関西さんの2大必殺技であるスプラッシュマウンテンとグリーンフォールですが、これはだれか今の後輩選手が使う可能性はあるのでしょうか?

 

関西 うーん、継いでほしいな。ここで切らすのはもったいないなって思うし。自分の中では山下かな、と思うんやけど今の山下は精神的にまだ全然プロレスと伴なってない部分がすごくあるからそれが伴ってきたときに使わせてやりたいな。

 

――現時点ではまだ足りませんか。

 

関西 すごい素直でいい子なんだよ、プロレスも飲み込むし、真剣になんでも教えてくださいって聞いてくるし、ある意味、純粋なプロレス馬鹿だから、ああいう子を上手に育てていけばあいつは化けると思うんだよね。でも教える人間が教え方を間違うとあいつはあのまんまで終わる! だからいい先輩について、プロレスの基礎からしっかり教えてやりたい。いろんな子がいるやん。

 

――はい、ビジュアルのいい子も揃ってきています。

 

関西 そう。プロレスっていろんなパターンがあるやん。かわいい子はかわいい子で、そういう育て方でもいいと思う。でも絶対基礎は必要やから。どんなスタイルをやるにせよ。 そこの基礎をちゃーんと教える人間がおらんから、そこをちゃんと教えてやってほしい。

 

――そのなかでいま関西さんが可能性を特に感じるのは山下選手なんですよね。

 

関西 山下と木村花! あれもいいとこいくで。もうちょっとしっかり練習せんとあかんけど、あれはいい目をしてる。ひねくれてないから。で、山下は馬鹿なくらい素直だからあいつもいい。まだ、頭やわらかいやろ、 屁理屈で固めようとしてないからプロレスを。今のうちに上手に育ててほしい。いい子はいるんやから、そこを見極めて育ててほしい。

 

――山下選手は何度かスプラッシュマウンテンにはトライしましたが、未完成のままですね。

 

関西 山下には「お前が教えてほしいこととか、あったらいつでも言ってこい」といってるの。練習を教えることはできるから。その子たちの試合を見てアドバイスすることだってできるし、陰からサポートはできるしね。それで、いい子がいたらどんどん育ててOZに送り込みたい。もったいない、いい子はいっぱいいるんだから。

 

――そうですね、関西さんは引退されてからもまだまだ必要とされることがたくさんありそうですね。その日が来ることを期待して待ちたいと思います。それでは最後に、盟友であるハーレー斉藤さんが亡くなられました。これについて関西さんのお話を伺いたいのですが。

 

関西 もう、信じられへんかったし、びっくりしたよね。引退の3日前だったかな、キューティーと一緒に病院へ会いに行ったの。そのときは「智恵子、ひさしぶり~」とまだ会話できてた。それで一緒にポテトチップスも食べた。まだ食べれたの。でもちょっと咳して苦しいとは言ってたし、痩せてたし、ごはんもまともにとられへんとは言ってたけど、「頑張らなあかんで、来年、また同期で飯食おうな」って言うてたとこやった。引退式は行けへんけど、30年間思い起こすことなく頑張れよって言うてたの。それで3,4日後でしょう、びっくりした。正直、年内は持つと思ってたの。でも俺もあいさつ回りもあったし、なんとか年内もう一回会いにいかなあかんな、と思った矢先やったしびっくりした。の時はジュースも飲んでたし、ベッドにも座れてたし…。

 

――関西さんとは同期ですから、尾崎さんと同様、寮生活も一緒だったわけですよね。

 

関西 そうそう、ずっと一緒でね、ハーレーはすっごい一生懸命で几帳面で世話好きなの。ハーレーはちょっと上だから、自分を妹のように叱ったり面倒見たりやるんよ。料理も好きやしね。お兄ちゃんみたいな存在やったね。

 

――リング上でも関西さんとはライバルみたいな位置づけだったんですよね。

 

関西 そう、よく組んだりもしてね、「オマエら二枚看板やから頑張れよ」とジャッキーさんからも言われてて、ジャパンは斉ちゃんと引っ張っていかなあかんねんなと思ってたしね。新人王のときでも争ったし、お互いライバルやって言いながら最初から来たから、そのままずーとライバルで最後までいけるもんやと思ってたね。最初、自分が引退ロードでバタバタしてたから、ハーレーも(具合が悪いことは)「智恵子には言うな」って本人が言ってたんやって。心配かけたくないって。智恵子は心配するから、いま引退も試合も増えて忙しいからって周り全部口止めされたんやて。それで、最後の最後で尾崎に言われたの。「そろそろ会いに行ったげて。もう年内持たないと思うから」って。だからギリまで知らんかった。なんでもっと早よ言わんねやーって。でもハーレーが武蔵小屋でお店やってるときは何回か飲みに行ったりしたけど、自分が引退発表したときくらいから具合悪くなってったんだって。それで引退発表の報告しにいったときに、乾杯して飲んだんだけど。あの日は無理して飲んでたんだって。自分が行ったから。でもその次の日からピターッて酒やめたって。あれだけ酒好きの人がねえ…。12月21日がハーレーの誕生日なの。その日は同期やOBの選手みんなとお別れ会やってあげようとみんなで言ってるんだけどね。でもびっくりだよ…。