【編集人コラム】信包一彦氏訃報について

18日の夕方、スターダムの竹石辰也氏から
元Jd事務局長の信包一彦氏の訃報が届いた。

吉本女子プロレスJdは95年12月、大阪ベイサイドジェニー
大会にてプレ旗揚げ。それより1年前、94年11月の東京
ドーム大会には全団体・全選手入場式にて、虎のぬいぐるみを
着たマスコットが単独入場。団体プラカードには「現在準備中」
と書かれ、初めて公にその姿を現した。

信包氏はそのころからのJdスタッフで、当時、映像制作会社
であるテレテックの一角に「新団体準備室」が用意されていた。
まだ選手もいなければ、団体名も決まっていない。
決まっていることと言えば女子プロレス団体を始めるということだけ。
信包氏は全く知らない業界に一人で飛び込み、
手さぐりの状況から団体設立へ向け、歩みだした。

私が信包氏と初めて出会ったのはまさにこの準備室でのこと。
もう95年を迎えた春頃だったと思う。
その当時は、GAEA JAPANが旗揚げし、全女、JWP、LLPWに
男女混合団体であるFMWを加えると5団体時代に突入したあたりである。

空手の猛者だと聞いていたので、それだけでかい人が出てくるのかと
思えば、物腰が柔らかく、人当たりの良さはそれだけで恐縮するくらいのものだった。

信包氏は所属第1号として白鳥智香子が決まったこと、またそれにより
盟友であった李由紀の入団も交渉中だと明かしてくれた。
白鳥はGAEA入団を決めていたはずが松永会長の勧めによって
Jdへ入ることになったという。

その後、Jdは旗揚げ会見を経てプレ旗揚げから本旗揚げ。
そこからは団体広報として、本誌取材の際は必ず付き添いとして
同行していたので、自然とよく話すようになった。

ジャガー横田と工藤めぐみの取材を上野の不忍池付近で行った時のこと。
確かレストランだったと思う。取材も終え、雑談をしていたら、
信包氏はテーブルに残っていたポテトやサラダの残りなど、みんなが手を付けなくなって
いたものを食べはじめた。そして「選手たちみんな、食べ物を残すんですよ。
もったいないからって自分がいつも残りを食べるんです。それで太っちゃって」
と、きれいに皿を片付けていたことをいまでも覚えている。

団体のスタッフでありながらその人柄と、一風変わったキャラクターに
親しみを感じた私は誌面上にて連載を依頼。「男・信包の男塾」と題して、
「男とは?」をテーマに1年近く続けてもらった。

さらに96年10月にはまだ新宿にオープンしたばかりの「ロフトプラスワン」にて
行なった「LADYSゴングナイト」(トークイベント)にて、選手たちに交じって信包氏にも
出演をオファー。恥ずかしがる氏をなんとか口説いて空手着でステージに座ってもらい、
トークに加え、板割の演武を披露してもらった。
控室で府川由美、玉田りえ、白鳥智香子、キャンディー奥津らが談笑している片隅で
こっそり空手着に着替えている信包氏がなかなかお茶目だったものだ。

サムライTV番組内で「LADYSゴング情報」が月イチで始まった際は、
私が出演させていただき、共演であるジャガー横田の付添でスタジオに
来ていた信包氏と3人で収録後、なじみの居酒屋に行くのが
ひそかな楽しみだった時期も懐かしい。

2001年、Jd退社後、空手の指導でタイに赴任されてからは会う機会が
なくなってしまったものの、今年、治療のために帰国されたときは、
本当に十数年ぶりの再会となった。

そして5月に開催された信包氏の応援興行では、
信包氏のJd時代の写真を探すことになり、本人が希望していた
リングアナ時代の写真を見つけ出した時は安堵したものだ。

信包氏のその姿をみなさんにも見ていただいて、
当時を思い出していただきたく、ここに掲載したい。
謹んでご冥福をお祈りいたします。