【豊田真奈美】豊田真奈美1995③…フリーダムフォース誕生へ

明けて1995年。
団体対抗戦は東京ドームでピークを迎え、
転換期に入っていた。それはまた豊田に
取っても同じ状況であったと言える。

盟友・山田敏代とのコンビは前年10月9日、
川崎市体育館にてダブル井上に敗れ、
WWWAタッグ王座を明け渡したことが
ひとつのきっかけとなり、タッグ解消の
動きへ向かっていた。

ダブル井上を主役とする全女マットの動きに
反発するかのように、豊田は新たなる行動に出る。

まず2・15鹿児島におけるタッグでの
赤いベルト挑戦者決定戦に勝利した豊田は
挑戦権を獲得。この結果により、3・26横浜
アリーナでのアジャコングへのWWWA挑戦権を
手中に収める。

東京ドームではアジャの前に敗れ去った豊田だが、
何度もアジャを追いこむ場面に46000人の
豊田コールが発生。全23試合の中で、もっとも
評価される存在となったのは前回でふれたとおりだ。

パートナー山田との別離に始まり、WWWAタッグ王者・ダブル
井上を中心とする動き、さらには東京ドームで復活
した新ユニット雷神隊(ライディーンアレイ)の登場により
タッグの流れが中心となりつつある全女マットで豊田は孤立
した姿を見せ始めていた。

そんななか、事件が起きる。

2・18博多スターレーン大会、メインでは62年組の
豊田、山田、三田、下田対63年組の京子、貴子、吉田に
伊藤が加わったイリミネーションタッグがラインアップされる。

いきなり伊藤、吉田と連覇した豊田だが京子に不覚の
フォール負け。
すると豊田は控室に直行する行動に出る。
下田の「一人でやってろ!」というアピールに振り向きも
せず、歩を進めた豊田は、
「これからは個人でやっていく! 自由のためなら
全員を敵に回したって構わない。私の考えに共鳴できる
人がいたら一緒にやっていきたい」とその心情を吐露した。
そのキーワードは”自由”だった。

九州サーキット中に起きたアクシデントはどう転んでいくのか。
2・26後楽園ホール大会は試合前から異様な雰囲気に包まれていた。
博多大会で起きた豊田の決起を知るマスコミは、この日、
何かが起きると、記者席内でささやき合っていた。

メインは4・2東京ドーム大会の出場権をかけた変則イリミネーションマッチ。

豊田は堀田&貴子&長谷川と組み、アジャ&山田&京子&吉田と対戦。
豊田に対しパートナーの堀田や貴子も攻撃する姿勢を見せ、リング上は2対6となる
異様な展開の中、結果は豊田のほか、アジャ、京子、長谷川が勝ち残り、
東京ドームの出場権を獲得した。

抱き合って喜ぶ豊田と長谷川。
このとき、長谷川は豊田が決起した2・18博多大会の5日後、
会見にて豊田との共闘を宣言していた。それにはある決意が
秘められていたのだが、それが明らかとなるのはもう少し先のことである。

この両者に伊藤、さらには少し遅れて吉田が歩み寄っていく。
一人で決起した豊田に、長谷川が、そして伊藤、吉田が
加わっていく。
「一人でやっていくって決めていたけど・・・これからは四人でやろう!」
と豊田はマイク。その瞬間、館内のボルテージは最高潮に達した。

これがフリーダムフォース誕生のいきさつと瞬間である。

ここに掲載した1枚の写真。これがその瞬間をとらえた1枚・・・
こうして豊田の1995年は激しくうねりを見せ始める。