【豊田真奈美】豊田真奈美1995②東京ドームに飛翔天女が舞う

1994年11月20日、東京ドーム大会。
全23試合がラインアップされ、団体対抗戦ブームのピークとも言われた
同大会。あれから、23年もの月日が経ち、人々の脳裏の残る記憶はなんであろうか。

おそらく、ほとんど印象に残る出来事はなかったかのように思う。強いて挙げれば
北斗晶の引退にまつわる去就ということになるだろうが…最終的に謎かけのメッセージを残してリングを
去ったため、エンディングの光景を覚えている人も少ないだろう。

そのなかで豊田の対アジャコング戦は東京ドーム大会でのベストバウトと言う声が
大会後、総評として聞かれた。東京ドームの広い空間に舞う姿は、そのキャッチフレーズである
飛翔天女そのもの。等身大そのスタイルはそのまま東京ドームの広大さにも
見事に調和していた。

豊田は16試合目に登場。
豊田が先に入場、続いてアジャの登場。アジャは豊田の前であえて、WWWAのベルトを掲げて誇示する。このとき、
アジャはWWWA王者、豊田は何度となくアジャと言う巨大な壁に立ち向かっては跳ね返されていた。

豊田は華麗に舞いながらも、要所要所ではその空中技を阻止され、
パワーの前に弾き飛ばされる。それでも、スタイルを変えること
なく、果敢に攻め込む。

ところが場外戦に持ち込まれると、長い花道のなかで抱え上げられ、
一回転気味に前面へに落とされる。

これに対して豊田も場外のアジャへ、机の上へのボディプレスなど、初めてトライする技も見せ、
満を持してジャパニーズオーシャンを決めるが、カウント2。

ここでビクトリースタードロップを決めた際はカウント3かとドームが揺れたがこれもカウント2。

この後一気にジャパニーズオーシャンを決めてフィニッシュへ持ち込もうとするも
これは不発に。そして一気にファルコンアローを決められ、1回戦で敗れ去った。

試合後、またしても超えられなかったアジャの壁を前に自問自答を繰り返した
豊田。しかし、この敗戦の要因こそが、トップへの足がかりとなる。