【豊田真奈美】豊田真奈美1995①前章

ここ最近、レディリン編集とともに
豊田真奈美の30年史を作るのに時間を多く割いた。

ひとつは引退興行パンフレット用、さらに次号の
レディリン用と、とにかく30年分を探すのにひと苦労。
何度も倉庫に行っては暗闇の中、写真探しに没頭
した。いつかみなさんに披露したいと思っていた
全女パンフ用に撮影された、62年組の3年目での未使用写真など、
未公開写真もふんだんに双方の誌面に掲載するので、
ぜひ豊田の30年に浸っていただきたい。

レディリンはまだ未編集だが、パンフに関しては
大方の目途も付いた。その内容は完璧とは言わないまでも、
豊田の偉大なる功績をたどることができたと
自負している。

作業中、苦労したのが時系列に並べること。古い写真だと、
何年何月の、どの会場で行われた試合なのかも調べなおさな
いといけない。特にデビューから3年あたりまでは、ほとんど
手がかりもない。地方大会だどなおさらである。

それでいて、どういった試合なのかも具体的に記述する
必要があるから、時間がどうしてもかかってしまう。
苦戦しながらも、ほぼ年代順に揃えていた時に感じたのは
1995年という年の豊田の濃密さだ。

前年までの豊田は山田とのタッグで無敵の快進撃を続け、
全女のレベルの高さを満天下に示していた。ところが、10月
にWWWAタッグ王座から転落したのを機に、両者は自然
解散の道をたどる。

こうして迎えた95年の2月、豊田は同志とともにフリーダム
フォースを立ち上げる(結成当初は豊田軍団と言う仮称。
6月の北海道・名寄大会よりこのネーミングに)。

3月には横浜アリーナでアジャコングを破りWWWAシングル
王座を奪取。ついに赤いベルトを取り、アジャ超えを果たす。

名実ともに頂点に上り詰めた豊田は、5月の初防衛戦で、井上京
子と伝説のフルタイムマッチ。6月には史上初となるジャパン
グランプリV2を達成。

9月には日本武道館で北斗晶から逆ノーザンライトで完全フォー
ルを果たし、12月、両国国技館にてダイナマイト関西の手に渡っ
ていたWWWA王座を奪回、2度目の頂点に立った。

ちなみにレディゴン創刊はこの95年12月。表紙は豊田で、巻頭は
豊田対関西戦だった。

そしてこの年の締めくくりは、11・3横浜の50人掛けマッチの原点
ともいえる、30人掛けマッチを完走した。

この95年と言う豊田にとって、もっとも刺激的だったといえる一年
を改めて検証しようと、この短期連載をここに連ねていきたい。

その1995年を書き連ねていく前に…まずどうしても振り返っておきたい
出来事がある。
前年11月20日の東京ドーム大会。全23試合がラインアップされた同大会、
豊田は『V★TOPWOMANトーナメント』に参加、1回戦でアジャコングに
敗れ去っている。

歴史的には完全に埋もれた試合と言ってもいい、このアジャ戦にこそ、
1995年の躍進の秘密が隠されていた…。